“Jetty” dialogue cafe

「話をするって、どういうこと?」(2017年6月開催)のレポートが公開されました!




6月に、当会も実行委員会に参加して開催いたしました「話をするって、どういうこと?」(対話する実行委員会主催)ですが、当日の分科会のレポートが公開されています。


ちょっと遅ればせではありますが、是非ご覧下さい。


【報告】分科会1「対話するって、安全なの?」
(話をするって、どういうこと?~「テロ等準備罪/共謀罪」をきっかけに対話する~、
対話する実行委員会主催、2017年6月4日開催)


※波止場てつがくカフェは、分科会1(テーマ:対話するって、安全なの?)の進行を担いました

【報告】第16回 誤解?失言?「発言を撤回する」とは、どういうことか?

 


9月30日(土)。

暑すぎず寒すぎず、空が綺麗に晴れ上がったこの日。

緑鮮やかに芝の映える、武蔵境駅すぐの屋外スポットは、″ゲリラ対話″にもってこいのロケーションとなった。

話は政治家の失言という話題、あるいは、自分自身が失言をしてしまったという体験などに触れつつ、発言するということの「前提」に及んでいった。












  • 発言力がある人とない人がいる。そもそも「平等に発言」するとはどういう状態のことなのか。そのような場をつくることはできるのか。
  • 「機会の平等」というだけでも自明ではない。全く個人の選択ということができない原因によって発言の機会を得ることができないことがある。
  • 仮に失言だと感じることがあっても、相手への敬意があれば、社会常識の範囲であると考え、その人の言っている趣旨を理解することはできる。
  • 単に「失言」だけでなく、ふるまいが「誤解」につながるのではないか。

そのような話の中、「そんなつもりはなかった」という言葉には、象徴的なセリフとして関心が集まった。












  • 失言を指摘されて弁解する人は、 「そんなつもりはなかった」というセリフをいうことで相手を傷つけたことをなかったことにしたいのではないかと感じる。それは、相手を軽視していることの表れではないか。
  • 確かに「失言」をしてしまうということは、「そのつもり」はなかったということなわけだから、「そんなつもりはなかった」と表明することにはそもそも意味はない。しかし、それでもその言葉を発してしまうのは、自分にその「つもりがない」ということを理解してほしいからではないか。
    ex.「足を踏んだ人」「踏まれた人」
  • 「悪気はない」と言ってしまうのは、「悪くない」ということの証明をしたいからではないのか?
  • 「誤解」とは、それをする相手には、「失言」をする前に既に生じているものではないのか。

話題は「撤回のという行為の評価や良し悪し。また、発言の撤回や謝罪など、それを行う「相手」についての話題にも触れながら、


     「納得できないことがある」と知ることが平等につながる


など、「誤解」や「失言」が発生する環境や原因、そして「公正」や「公平」という概念についても及んでいった。

 

 










振り返ると、全体として「誤解」や「平等」「納得」などといった概念について多く語られたものと感じるが、本日の対話の「核心」を絞り込むことは、充分にできないまま、終了の時刻を迎える結果となった。

 












残念ながら「問答」として結晶化させることはできなかったものの、下の写真にあるように、複数挙げられた「問い」の候補は、興味深い問題を提示していると感じる。

豊かな内容を実現できた対話ではなかったかと思う。

是非この続きは、各人にて思考を深めていってもらいたい。


***


第16回 誤解?失言?「発言を撤回する」とは、どういうことか?

  • 日時:9月30日(土)14時~
  • 場所:武蔵境駅至近の青空スポット
  • 参加費:無料









***

 

※「本レポートは対話の場の主催者として掲載するものですが、報告者の個人的見解を前提としています。種々の制約によりラフな記録と記憶をたよりに作成されているため、現になされた対話の事実と食い違うところがあるかもしれません。何卒ご承知おき頂きたく、お願い申し上げます。


【告知】第17 回
「震災後文学を東京で読むこと」

[特別企画] “読んで対話する" こころみ

 


東日本大震災から6年半。風化させない、忘れない、と言いながらも、否応もなく震災の記憶は抜け ていくと実感します。たとえ「東日本」に暮らしているのであっても、とりわけ生活の基盤が、あっと いう間に以前の日常を取り戻した「東京」にあるのなら。

地震とそれに続く原発事故については、怒濤のような報道に続いて、たくさんのドキュメンタリー映 画が制作され上映されました。その後、震災はフィクションの題材にもなっていき、映画や、そして「震 災後文学」と呼ばれる一群の文学作品も登場しています。

それらを見たり読んだりすることで、被災地 から離れた場所に住むわたしたちも、震災そのものや、被災するとはどういうことかについての一部を 知ることができます。そしてそれぞれの立場から、何らかの思いを抱くことと思います。

が、いざそれらの作品を前に何かを語ろうとすると、どんな言葉で何を語ればよいのか思いあぐね、 口ごもったり黙ってしまったりする、そんなことはないでしょうか。一体何がわたしたちをそうさせて しまうのでしょうか。

そこで、今回は震災を扱った作品を前にした「自分」について、話し合ったり聞き合ったりする対話 の場を作りたいと考えています。

対話の入り口として、震災後の福島をテーマに小説を発表し続けている作家・志賀泉さんの最新作「花 火なんか見もしなかった」をとりあげます。これは、読みやすい作品かもしれないけれど、もしかした ら感想を言いやすい作品ではないかもしれません。

わたしたちを口ごもらせるものがあるのだとしたら、それは作品の中にあるのか、わたしたちの中にあるのか。

そんなところから、話していってみたいと思います。


■日時2017年11月18 日(土)14 時~(17時30分終了予定)
テキスト配布開始13 時
開場13時30分
開始14時

チラシ表


■場所エイブル・アート・ギャラリー
千代田区外神田6-11-1 アーツ千代田3331 内#208
TEL. 03-5812-4622
地図はコチラ


■アクセス
・東京メトロ銀座線末広町駅4番出口より徒歩1分
・東京メトロ千代田線湯島駅6番出口より徒歩3分
・都営大江戸線上野御徒町駅A1番出口より徒歩6分
・JR御徒町駅南口より徒歩7分
・JR秋葉原駅電気街口より徒歩8分
・JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩15分

チラシ裏


■鑑賞作品
志賀泉「花火なんか見もしなかった」(けいこう舎吟醸掌編 vol.2』所収)


■参加費500円(テキスト代含む)


■申し込み先 ※申し込み優先
hatoba.de.dialogue@gmail.com


■作家と作品の紹介
志賀泉(しが・いずみ)
1960 年、福島県南相馬市生まれ。福島県立双葉高校、二松学舎大学文学部卒。2004年「指の音楽」で第20 回太宰治賞受賞。著書に『TSUNAMI』『無情の神が舞い降りる』(筑摩書房刊)。震災後は福島を舞台にした作品を次々に発表。最新作「花火なんか見もしなかった」は、小学校を卒業する日に被災し、自分の根っこを断ち切られてしまった福島の少年少女たちの物語。また、福島を舞台にしたドキュメンタリー映画の制作にも携わっている。
ブログ「しがしま21

吟醸掌篇 vol.2


■プログラム

【第一部】作家トーク&朗読 (ゲスト:志賀泉さん)
作家自らに作品について語っていただきます。特別映像の上映も予定しています。

【第二部】てつがくカフェ
「震災後文学を東京で読むこと」について、参加者で語り合い聞き合います。

※参加にあたって
当日開始までにテキストを読んでからご参加ください。

1.当日13時よりエイブル・アート・ギャラリーにてテキストを配布します。
→ 好きな場所でお読みいただき、14時までに会場にお戻りください。

2.テキスト掲載の文芸誌「吟醸掌編 vol.2」を事前に購入することもできます。
amazon.co.jpまたは、けいこう舎にて販売。定価800円(消費税、送料別)。

【報告】<政治>について考え...てみる



森友・加計疑惑の追及から臨時国会の開会要求。開会と同時の冒頭解散。

更には希望の党結党と民主党の分裂と、日本の政治は、この1ヶ月ほど目まぐるしい変化の中にありました。

あまりに急激な動きに、なんだか言葉が追いつかない。

政治の問題であるとはいえ、「てつがくカフェ」を自認する私たちは、何事か対話の場を開いていく必要があるのではないか――。

普段にも増して進行の体制を整えることができず、充分な時間の確保もできない対話となりましたが、お陰さまで、どの回も数人の方の参加を得て開催することができました。

また、当初懸念していた、「政治」という具体の問題を「てつがく」の手触りで扱うという困難についても、的を絞っては空を仰ぐような。

行きつ・戻りつ、相手の話しをじっくり聞きながら、かつ、その言葉そのものの文法を掘り起こすような感触を覚える対話であったと感じております。

ごくごく簡単な振り返りとなりますが、下にその模様をご紹介いたします。

※いずれの回も冒頭に、参加された方より政治の話題で今気になる話題、関心のあるワードなどをを付箋に書いて説明してもらうということを行いました。

 

■第1回 10月6日(金)
保守?リベラル?●●主義って意味あるの?


「主義」というものには、人をまとめあげる機能と排除する機能のふたつがあることに着目。

「主義」が立ち上がるとともに排除が生まれ、排除された者が自らのアイデンティティーを確立することにより「主義」を生み出すに到るという連環に話しが及んだ。



■第2回 10月12日(木)
憲法・法律 ルールって何なのか?


rule(英)という語には、

  1. きまり
  2. 支配する

という、二つの意味がある事を確認しつつ、「ルール」というものについて、「生きていく多面最低限のルール」という理解が広くされていることから、“最低限”のルールの反対、“最大限のルール”について考えをめぐらせ、「きまり」と「理想」「目標」との関係に話しが及ぶも、時間切れ。


■第3回 10月18日(水)
主権?民主主義?「みんなが主人公」って、ほんとはどういうこと?


「みんなが主人公」という言葉が機能する2つの別々の世界観と、その「ズレ」について話が及ぶ。

  1. 「みんなが主人公」という呼びかけがある一方で、実際は選挙の候補などは、あたかも物語の主人公のように立ち現れる。一方、呼びかけられる側は、この物語の「取り巻き」として位置づけられるに留まる。
  2. 文字通り、「みんなが主人公」という世界。1の意味での「主人公」とは、様相が異なる。決定的な「ズレ」がある

以上の話を前提に、次のような問と答が提示された。


 問 政治においてどうして主人公が必要なのか?

 答 「主人公」がいないと「選挙」が成立たないから。


この問いに用いられている「主人公」とは、果たして1の意味におけるものなのか、それとも2の意味でのものか。

残念ながら、充分な吟味を行う前に時間切れとなってしまった。


 

***


会場の都合により、残念ながら時間延長は一切できません。

いずれの回も時間が足りず、対話は途中で突然に打ち切される格好となってしまいました。

充分な進行を行うことができず、参加された皆様には大変申し訳なく感じております。

しかし兎に角も、不透明かつ、具体的な「政治判断」が叫ばれる中で、皆様と対話の場をご一緒することができたことは、大変嬉しい体験でござました。

ありがとうございました。

以上、簡単ではございますが、3週連続にてお届けした緊急企画「<政治>について考え...てみる」のご報告とさせて頂きます。


***


【緊急企画】<政治>について考え...てみる

■開催日程

  • 第1回 10月6日(金)  保守?リベラル? ●●主義って意味あるの?
  • 第2回 10月12日(木) 憲法・法律 ルールって何なのか?
  • 第3回 10月18日(水) 主権 ?民主主義? 「みんなが主人公」って、ほんとはどういうこと?

■時間  いずれも19時~21時

■場所 東京ボランティア・市民活動センター(東京都新宿区神楽河岸1-1 セントラルプラザ10階)

■参加費 無料(カンパ歓迎)


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※「本レポートは対話の場の主催者として掲載するものですが、報告者の個人的見解を前提としています。種々の制約によりラフな記録と記憶をたよりに作成されているため、現になされた対話の事実と食い違うところがあるかもしれません。何卒ご承知おき頂きたく、お願い申し上げます。

【ブース出展】

「必要なのは、対話ではない」と言われたら、どうする?



「哲学プラクティス連絡会」という集まりがございまして、年に一度、「大会」を開催しております。

一応、「てつがく」と名乗っております当会ですが、この度、ちょっと考えるところがごいざまして、以下の内容にてブース出展を行うことといたしました。

今回のこのブース出展では、通常のような「てつがくカフェ」を行うわけではありません。

今回の取り組みは、会場にご来場された方々と、上記テーマを通じた意見の交換や交流を深めることを目的とするものです。

年会費として2000円(学生:1000円、高校生以下無料)が必要となりますが、特に参加資格などはございませんので、ご関心がございましたら是非ご来場下さい。

上記の時間、会場にブースを設置して待機いたしますので、どうぞご都合のよい時間にお立ち寄り頂ければと思います。


***


哲学プラクティス連絡会 第3回大会

■日時 10月22日(日)10:00~18:30(9:30受付開始)
※前日21日(土)は、立正大学品川キャンパスにて前日祭が予定されております

■場所 立教大学池袋キャンパス

■費用 年会費 2000円(学生1000円、高校生以下無料)
※哲学プラクティス連絡会の年会費として受付にてお支払い下さい
※前日祭(立正大品川キャンパス)参加の場合は、翌日の大会にて年会費から1000円キャッシュバックを受けられる場合があるようです
詳しくはコチラ

■参加申し込み・詳細
⇒ 詳しくは哲学プラクティス連絡会のwebサイトをご参照下さい。


※波止場てつがくカフェは、会場にて終日、下記テーマにて「被-相談」ブースの出展を行います。


■企画タイトル 「必要なのは、対話ではない」と言われたら、どうする?


■企画趣旨・説明

「必要なのは、対話ではない。圧力なのです。」

安倍・内閣総理大臣は、2017年9月21日、ニューヨークで行われた国連総会にて行われた一般討論演説にて、このようにスピーチを行いました。(注1)


朝鮮民主主義人民共和国による相次ぐミサイル・核実験。米海軍艦隊による日本海への展開と、韓国軍や日本・自衛隊との共同軍事演習。

各国首脳相互による罵り合いは、こうした軍事的緊張を更に高まらさせているように思われます。

東アジアは現在、「核戦争の危機」にある――。

これを根拠のない不安ということは、できないと思います。


ところで、安倍・内閣総理大臣のこのスピーチは、私たちにとって、見過ごすことができない論題を突きつけてはいないでしょうか?

つまり、安倍さんの発言は「対話」の必要性を否定するものである!

・・・と結論するのは性急かもしれませんが、少なくとも、「『対話』が必要でない場面がある」という考えを提示しているとは、思うのです。


さて、結論の性急を抑するためにも、安倍・内閣総理大臣がこうした発言に到った経緯について、今しばらく確認をした方がよいように思います。

上記スピーチにおいて、安倍・内閣総理大臣は、「対話」を何の価値もないものとして扱ったわけではないようです。

「これをもたらしたのは、対話の不足では、断じてありません。」

「辛抱強く、対話の努力を続けた」

思えば安倍・内閣総理大臣は、過去には、中国・大韓民国との外交に言及して、「対話のドアは常にオープンです」とも述べてきました。

安倍・内閣総理大臣は、

「対話とは、北朝鮮にとって、我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった。」

という判断の下、

「必要なのは、対話ではない。圧力なのです。」

と結論しています。


もちろん、こうした発言は、日本の最高権力者のものであるとはいえ、それはあくまで「政治家」による発言です。

「『政治』の言葉としての『対話』と、私たちの考える『対話』は、全く別のものだ。」

そのようにお考えになる方も多いのではないかとも思います。

確かに「哲学プラクティス」を実践する立場においての「対話」と、政治における「対話」とは、そもそも全く違うものであるのかもしれません。


しかし、そうはいってもやはり、一国の首脳が、同じ「対話」という言葉を用いてその必要性を否定したという事実は、鈍い刺し傷のような疼きをもって、心に迫ってくるように感じられます。

「必要なのは、対話ではない。」

同じ「対話」という言葉を自分たちの課題として実践しようとする者にとって、この発言は、見過ごすことができない重大な問題を提示しているとはいえないでしょうか?


政治の世界における「対話」(と「圧力」)。

そして私たちが実践しようとしている「対話」。

あるいはそれは、「対話」一般という抽象と、私たち「哲学プラクティス」を実践する者たちが考える「対話」の違いに通じる差異であるでしょうか?

しかしだとすれば、私たちの「対話」にとっても、「圧力」というものが必要な場面があることを意味している可能性がないでしょうか?

ならば「圧力」は、「対話」とどのように違う(あるいは、違わない)ものなのでしょうか?

「対話」という言葉で私たちが指す営みは、一体どのようなものなのでしょうか?

そしてそれは、「戦争」という事態とどのように関わっているのでしょうか?


はからずも第3回哲学プラクティス連絡会が行われる10月22日(日)は、衆議院議員総選挙の投票日となりました。

政治情勢が目まぐるしく流動している現在。

選挙の結果によっては、政権が変更される可能性もあると言われています。

しかし、仮に政権がどのような個人・集団に握られるとしても、とりわけこの緊迫した国際情勢の下では、「必要なのは、対話ではない。」との言葉で提示された考えは(そして「圧力」が必要なのだという考えも)、変わることなく継承されていくように思えます。

そしてむしろその考えは、単にひとつの政権や政府の考えというだけではなく、ひろく私たちの社会で保持されている考えでもあるのではないでしょうか?


「核戦争の危機」の高まりの傍らで――。

政治の世界から発せられた「対話」についての考えに、どう応じればよいのか。

「哲学プラクティス」を実践する立場から、考えたいと思っています。


注1 「対話でなく、圧力必要」安倍首相、国連演説(毎日新聞 2017年9月21日)

・参考 第72回国連総会における安倍内閣総理大臣一般討論演説

※本企画は、波戸場てつがくカフェ・スタッフが、「哲学プラクティス」を実践する立場から、このテーマに関心をお持ちの方との交流と意見交換を目的として開催するものです。

※参加者複数となった場合に備え進行役を設置しますが、当会にて特別なファシリテーションなどをする予定はございません。スタイルにこだわらず、ざっくばらんにこのテーマについて皆様のお考えをお聞きし、お話しさせて頂く催しとしたいと思います。

 

 

【緊急企画】<政治>について考え...てみる

 



臨時国会開会と同時の「冒頭解散」。

小池東京都知事を代表とする新党の、突然の結成。

そして最大野党である民進党の「事実上の合流」もとい、分裂。

モリだカケだと疑惑の追及が叫ばれ、解散の「大義」はどこにあるのかとの疑念が渦巻く中、どこからともなく聞こえてくる「希望」とは、果たして何ぞ...!?

目まぐるしく流動する政治の状況に、日本という場所で暮らすひとりとして、一体何をどう考えたらよいのか。

正直、途方に暮れているという方も、多いのではないでしょうか?

かくいう私たちこそが、実はそういう心境です…

そこで、緊急企画!!

波止場てつがくカフェは、今、この奇々怪々な状況にある<政治>について、言葉を交わす場を設けてみたいと思います。


とはいえ、果たしてこの試みをどのようなものと心得るべきなのか。

「対話」とは、お互いに対等な関係性を志向して行われるべきものであると私たちは考えていますが、この取り組みにのぞむにあたって、私たちはそうした前提を充分に持ち合わせることができないかもしれません。

そもそも「選挙」という具体的権力の行使が差し迫るなかで、こうした話題について誰かと話しをするということは、相当の困難を抱えていると言えます。

なぜなら、権力の行使を前に求められることとはすなわち、物事の是非や優劣、そして正悪を判断することであるからです。

そのような欲求へと人々が関心を向ける最中で、相手の立場に「前提」を設けることなく、対等に、じっくりとその考えに耳を傾けることができるかどうか。

対話を呼びかける者として、正直心許ない気持ちがございます。

しかし、左右消失・前後不覚とも見えるこの状況の中では、誰かと話がしたい、誰かの話を聞きたい。

人がこうした気持ちを強めることもまた、事実ではないかと感じます。

まずは何より、そのような欲求に応えたい。

対話の場を開いていこうとする者として、私たちはそのように考えました。


本日から22日(日)の衆議院議員総選挙・投票日までの間、毎週一回、以下の内容にて、てつがくカフェを開催いたします。

目まぐるしく変わる政局のニュースに言葉が追い付かないという方。

誰かに自分の考えについてどう思うのか、聞いてみたいという方。

どんなことでも構いません。

このカオスの中に、果たして「自分の言葉」はどこにあるのか――。

それを探し求める方を、私たちはお待ちしています。

どうかお気軽なお気持ちでお越しください。

***


※通常の体制に比しても準備が充分とは言えませんが、下記日程にて最低1名、当会の者が、対話の進行のために待機いたします。皆様のお越しを、心よりお待ち申し上げます。

■開催日程

第1回  10月6日(金)
保守?リベラル? ●●主義って意味あるの?

第2回 10月12日(木)
憲法・法律 ルールって何なのか?

第3回 10月18日(水)
主権 ?民主主義? 「みんなが主人公」って、ほんとはどういうこと?


■時間  いずれも19時~21時

■場所 東京ボランティア・市民活動センター(東京都新宿区神楽河岸1-1 セントラルプラザ10階)

■アクセス 飯田橋駅(JR線、東京メトロ有楽町線・東西線・南北線、都営大江戸線)

■参加費 無料(カンパ歓迎)

※本企画において主催者が、特定の政治集団についての勧誘や宣伝を行うことはございません。

※本催しの趣旨は、お互いの考えをじっくりと聞きながら、「それがそもそもどういうことなのか」を考えるというものです。特定の政治的主張を流布することを目的とするものではないことを、ご承知おきください。

※緊急の場合は、twitter にて発信します。適宜ご確認ください。

※波止場てつがくカフェは、こんな活動をしているグループです
波止場てつがくカフェ?

【報告】第15回「売れるモノ買えるモノ 〈取引〉について」


照りつける日差しに、首筋からジワリと汗が流れる。

この暑さ、果たして大丈夫だろうかと心配になったけれど、今回の会場は屋根つき。

吹き抜けの立地になっていて風通しもよく、なかなかさわやかな環境で対話を始めることができた。

今回のテーマは「売れるモノ買えるモノ 〈取引〉について」。

スマホ・アプリの開発によって、近年著しく発達してきたネット・オークションの話題を前提にしながら、様々な話しが交わされた。

  • オークションでは、金額や品物の状態などの情報以外は忌避される傾向にあるように感じる。ネット・オークションのサイトを見ていると、余計な情報を載せている人を揶揄するようなやりとりも。
  • 手づくり品などの場合は、品物の状態や金額といった事柄だけに終始しない、様々なコミュニケーションがされることが多いように思う。狭い意味での「取引」に回収されない交流が生まれることが、ネット・オークションが盛り上がっている要因のひとつではないか。

<取引>について、


“お互い妥協できる価値を見出すべくコミュニケーションを続けること”


というような仮定をおきつつ、<取引>が単に金銭や財の価値のみに限らない領域を含むものなのかどうか、ということに関心が示されていった。

 

  • 取引は一方的なものではなくて、お互いに何かをする必要があるもの
  • 取引は、個人が「自覚的に」行うもの
  • 取引=売買、であるとは限らないのではないか。「売買」は貨幣が介在するが、価値が全て数字へと還元されてしまうことに、うすら寒さをおぼえる。
  • 売買=等価交換 ⇔ 取引=やりとり

「売買」という、現代社会で日常的に行われている金銭のやりとりと、「取引」とは何か違うのではないか、という問題意識から、両者の違いについて、話は更に展開する。

  • 親密な間柄では、取引がされていたとしても、それと意識されないことが多い。
  • お金でなされるやりとりは、相手が誰かを問わないという意味で「平等」であるともいえる。
  • 「取引」には、財力以外の能力も必要。うまく出来ないと排除される。
  • 金銭以外の要素が媒介する「取引」は、様々な人間関係か自由でいられない、という側面がある
  • 対等な立場でなされる取引なら問題ないのではないか


また、金銭を介した取引について、以下のような話も。

  • 「等価交換」というが、何を持って「等価」というのかは、状況によって変動する。
    ex.砂漠における水
  • 法律や様々な規制によって、勝手に値引きできないものもある
    ex.米、たばこ、労働力
  • 「値引き」というものもひとつのコミュニケーションなのに、「定価」がそれを邪魔している
  • 親密圏で行われるのは、何かの引き換えを前提としない「贈与」なのではないか

そうして話は、取引の「自由」と「規制」、そして人間同士の「平等」の話に。

  • 取引の主体は、そもそも平等ではない
  • たとえ同じ値段の代物であっても、収入が違えば、それを受け取る価値も違う
  • 海外に行ったときに、観光客には、現地で暮らす人とは違う値段で売るということんい遭遇したことがある
  • 以前は、教育や福祉が「取引」の対象という理解には社会的に抵抗があったように思うが、現在は「サービス」として、取引の範疇に入れられている
  • 売春には一定の法規制が存在するが、売買春は当事者の合意があればOKといえるか?


このようなやり取りから、以下のようなキーワードがあげられた。

  • 交換
  • やりとり
  • コミュニケーション
  • 平等
  • 合意
  • 自由


積み上げられた対話のそこかしこに、かなり興味深い論点が複数存在したと思えるが、しかし、問いをたてる作業はかなり難航することになった。

問いを立てるにあたっては当初、取引が自由であることの条件について模索がされていたと思うが、しばらく堂々巡りから脱するすることができない時間が続いた。

転機となったのは、


“100パーセント自分が納得できるお買い物って、あっただろうか?”


との疑問が提案されてからのことだったと思う。

ここでは問いの形式が、既に日常の私たちにとって了解されているところの「取引」なる概念に向かっていない。

むしろそうした「前提」は宙吊りにされたまま、視点は「自分」の「お買い物」へと向けられている。

「買い物」という言葉を介しつつ、「自分」の「納得」というものが、「取引」に関わる「自由」とどのような関係にあるのか。

そのようなことを更に読み込んだ結果、私たちは遂に下記のような問いを提出するに到った。

 

問 取引の「お釣り」は何か?

答 自分の価値観、社会の中での自由/不自由を知ること



「取引」に関する自由(不自由)という問題は、「買い物」についての個人の「納得」という視点を通じて、「お釣り」という言葉をひねり出すこととなった。

「取引」というコミュニケーションの形式は、「社会の中での自由/不自由を知る」という内容へと更新されることで、更なる問いかけの広原へと放り出されることになったと思う。

漠とした「取引」という言葉の意味を、少しだけ豊かなものに変えながら。

以上、第15回波止場てつがくカフェは幕を閉じた。

(了)


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第15回「売れるモノ買えるモノ 〈取引〉について」

・日時:7月9日(日)14:00~
・場所:飯田橋の某コミュニティスポット
・参加費:無料


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※「本レポートは対話の場の主催者として掲載するものですが、報告者の個人的見解を前提としています。種々の制約によりラフな記録と記憶をたよりに作成されているため、現になされた対話の事実と食い違うところがあるかもしれません。何卒ご承知おき頂きたく、お願い申し上げます。