第14回「その「いいね!」本気!? ~理解すること・共感することを考える~」
日差しが強く照りつけた5月21日。
第14回波戸場てつがくカフェは、六本木の街中にほど近い場所で行われた。
晴れたことはありがたかったのだが、こんなにも日差しが強いのは想定外。会場に添えつけられていた骨組みの屋根に、持ち合わせた日傘をわたして急ごしらえの木陰をつくった。
テーマに「「いいね!」の言葉があったこともあり、SNSに関する話題も多かった。
- 内実を伴わない「共感」は、「共感」を強制するという暴力になることがある。
- 「共感」が強制された結果「どうでもいいね」という気持ちになることも。
- Twitterの「いいね」ボタンは、本当に「いいね」と思っているわけではなくとも「リツィート」をするのとは違う反応をしたい時に用いられることがある。例えば、「いいね」と思っていないけど、単に「見たよ」ぐらいの気持ちから押したり。
- SNSの登場によって「共感」に新しい定義が付加された。
- 「共感」という概念は歴史が浅いのではないか?一昔前は、「共感」よりも「同情」という言葉が多く使われていたように感じる。
- 「共感」とは、価値観の共有ではなく感情の受け入れ、ではないか。
- 「共感」が感情の受け入れであるとして、感情の受け入れによって相手に取り込まれる危険性がある。相手を全肯定することは危険。
一方、「理解」という言葉についても言及が。
- 一方的な理解はストーカー的で、共感とは言えない。
- 理解を「同意」と同じ意味に捉えてしまう傾向がある。誰かがある考えを理解することが、その考えに従った行動を取ったり、何かを実行することを意味はしないのに。
- 「いいね」と共感することの背景には、深く接することで自分が脅かされるのではないかという不安がある
- 本当の「理解」には、相手の発する情報を価値判断せずに受け止めることが重要
- 「いいね」は「受け止め」のポーズだとして、「挨拶」として機能しているのではないか?
キーワードとして挙げられたの以下の言葉。
- 共感からはじまる暴力
- 暴力を呼び起こす共感 ・受け入れること/受け止めること
- 感情/価値観 何を共有するのか
- 承認欲求 ・権力関係
この後、対話は問を提出する段へと移っていくが、作業は難航することとなった。
一つの理由としては、「理解」と「共感」の関係をどのように考えるのかについての定見がなかなか醸成されなかったということがあるかもしれない。
例えば当初提出された「権力関係・上下関係を超えた共感は成立するか?」との問いには、「上下関係を超えた」ということと「理解」することがどのような関係にあるのかが問題となった。
それは「理解」ということが成立したうえでのことなのか?
あるいは「上下関係を超える」ということの中に、既に「理解」することが“前提”として存在するとは?
(上下関係に“前提”とされる「理解」とは?)
また、「共感」ということがもたらすのは単に「ポジショントーク」ではないのか、といった批判も寄せられた。
終着を見出すことがなかなか難しく、やむなく終了時刻を延長。
気付けば日もだいぶ傾いた。
タガログ語だろうか。隣のベンチには、女性達が多数集って楽しそうに話をしている。
おしゃべりに鼻を咲かせるお母さん達の傍らで、子供達は元気に遊ぶ。
対話の先は見えない。しかし、このごった煮な感じは愉快。
第14回波戸場てつがくカフェは、以下の問答を提出して終了となった。
問 異質なものへの共感は成立つか?
答 いいね、成立しないが、想像力を働かせてしてとの距離を客観的に持ちつつ客観的に理解することはできる
(了)
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・第14回 「その「いいね!」本気!?~理解すること・共感することを考える~」
・日時:5月21日(日)14時~
・場所:六本木の屋外スポット
・ 参加費:無料
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※「本レポートは対話の場の主催者として掲載するものですが、報告者の個人的見解を前提としています。種々の制約によりラフな記録と記憶をたよりに作成されているため、現になされた対話の事実と食い違うところがあるかもしれません。何卒ご承知おき頂きたく、お願い申し上げます。