【報告】第15回「売れるモノ買えるモノ 〈取引〉について」

【報告】第15回「売れるモノ買えるモノ 〈取引〉について」


照りつける日差しに、首筋からジワリと汗が流れる。

この暑さ、果たして大丈夫だろうかと心配になったけれど、今回の会場は屋根つき。

吹き抜けの立地になっていて風通しもよく、なかなかさわやかな環境で対話を始めることができた。

今回のテーマは「売れるモノ買えるモノ 〈取引〉について」。

スマホ・アプリの開発によって、近年著しく発達してきたネット・オークションの話題を前提にしながら、様々な話しが交わされた。

  • オークションでは、金額や品物の状態などの情報以外は忌避される傾向にあるように感じる。ネット・オークションのサイトを見ていると、余計な情報を載せている人を揶揄するようなやりとりも。
  • 手づくり品などの場合は、品物の状態や金額といった事柄だけに終始しない、様々なコミュニケーションがされることが多いように思う。狭い意味での「取引」に回収されない交流が生まれることが、ネット・オークションが盛り上がっている要因のひとつではないか。

<取引>について、


“お互い妥協できる価値を見出すべくコミュニケーションを続けること”


というような仮定をおきつつ、<取引>が単に金銭や財の価値のみに限らない領域を含むものなのかどうか、ということに関心が示されていった。

 

  • 取引は一方的なものではなくて、お互いに何かをする必要があるもの
  • 取引は、個人が「自覚的に」行うもの
  • 取引=売買、であるとは限らないのではないか。「売買」は貨幣が介在するが、価値が全て数字へと還元されてしまうことに、うすら寒さをおぼえる。
  • 売買=等価交換 ⇔ 取引=やりとり

「売買」という、現代社会で日常的に行われている金銭のやりとりと、「取引」とは何か違うのではないか、という問題意識から、両者の違いについて、話は更に展開する。

  • 親密な間柄では、取引がされていたとしても、それと意識されないことが多い。
  • お金でなされるやりとりは、相手が誰かを問わないという意味で「平等」であるともいえる。
  • 「取引」には、財力以外の能力も必要。うまく出来ないと排除される。
  • 金銭以外の要素が媒介する「取引」は、様々な人間関係か自由でいられない、という側面がある
  • 対等な立場でなされる取引なら問題ないのではないか


また、金銭を介した取引について、以下のような話も。

  • 「等価交換」というが、何を持って「等価」というのかは、状況によって変動する。
    ex.砂漠における水
  • 法律や様々な規制によって、勝手に値引きできないものもある
    ex.米、たばこ、労働力
  • 「値引き」というものもひとつのコミュニケーションなのに、「定価」がそれを邪魔している
  • 親密圏で行われるのは、何かの引き換えを前提としない「贈与」なのではないか

そうして話は、取引の「自由」と「規制」、そして人間同士の「平等」の話に。

  • 取引の主体は、そもそも平等ではない
  • たとえ同じ値段の代物であっても、収入が違えば、それを受け取る価値も違う
  • 海外に行ったときに、観光客には、現地で暮らす人とは違う値段で売るということんい遭遇したことがある
  • 以前は、教育や福祉が「取引」の対象という理解には社会的に抵抗があったように思うが、現在は「サービス」として、取引の範疇に入れられている
  • 売春には一定の法規制が存在するが、売買春は当事者の合意があればOKといえるか?


このようなやり取りから、以下のようなキーワードがあげられた。

  • 交換
  • やりとり
  • コミュニケーション
  • 平等
  • 合意
  • 自由


積み上げられた対話のそこかしこに、かなり興味深い論点が複数存在したと思えるが、しかし、問いをたてる作業はかなり難航することになった。

問いを立てるにあたっては当初、取引が自由であることの条件について模索がされていたと思うが、しばらく堂々巡りから脱するすることができない時間が続いた。

転機となったのは、


“100パーセント自分が納得できるお買い物って、あっただろうか?”


との疑問が提案されてからのことだったと思う。

ここでは問いの形式が、既に日常の私たちにとって了解されているところの「取引」なる概念に向かっていない。

むしろそうした「前提」は宙吊りにされたまま、視点は「自分」の「お買い物」へと向けられている。

「買い物」という言葉を介しつつ、「自分」の「納得」というものが、「取引」に関わる「自由」とどのような関係にあるのか。

そのようなことを更に読み込んだ結果、私たちは遂に下記のような問いを提出するに到った。

 

問 取引の「お釣り」は何か?

答 自分の価値観、社会の中での自由/不自由を知ること



「取引」に関する自由(不自由)という問題は、「買い物」についての個人の「納得」という視点を通じて、「お釣り」という言葉をひねり出すこととなった。

「取引」というコミュニケーションの形式は、「社会の中での自由/不自由を知る」という内容へと更新されることで、更なる問いかけの広原へと放り出されることになったと思う。

漠とした「取引」という言葉の意味を、少しだけ豊かなものに変えながら。

以上、第15回波止場てつがくカフェは幕を閉じた。

(了)


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第15回「売れるモノ買えるモノ 〈取引〉について」

・日時:7月9日(日)14:00~
・場所:飯田橋の某コミュニティスポット
・参加費:無料


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※「本レポートは対話の場の主催者として掲載するものですが、報告者の個人的見解を前提としています。種々の制約によりラフな記録と記憶をたよりに作成されているため、現になされた対話の事実と食い違うところがあるかもしれません。何卒ご承知おき頂きたく、お願い申し上げます。