【報告】第18回 笑ってはいけない、のはどうして?

【報告】第18回 笑ってはいけない、のはどうして?



1月27日(土)の午後。

第18回波止場てつがくカフェは、大崎駅からほど近い「複合型巨大施設」にて行われた。

かつてはSONY関連の工場が数多く存在したという大崎だが、今はオフィスや商業店舗が同居する巨大なビル郡が並び立つエリアとなっている。

ベンチや植え込みも多く存在するこのエリアはしかし、歩くとなんとなく人工的な印象の風景が続いて、なんだか奇妙な浮遊感を覚えた。


さて、今回のテーマは「笑ってはいけない、のはどうして?」。

昨年末の大晦日、毎年恒例の特番としてTV放送されているバライティー番組で、あるお笑い芸人が顔を黒塗りにして有名な「黒人」の俳優に扮するという演出が行われた。

「それは人種差別ではないのか――?」

この放送は、多くの批判・反響を引き起こし、海外メディアにも多数紹介されるなど、社会的議論の対象として注目を浴びた。

顔を「黒塗り」にする演出は「ミンストレル・ショー」として、特にアメリカ合衆国において、人種差別であると批判されてきた歴史があるという。

そのようなニュースや議論が記憶に新しい中で、果たしてどのような対話を行うことができるか。

この番組をめぐる事件についても触れられながら、対話は進んでいった。

  • 被災地にボランティアに行ったとき、あることで思わず笑ってしまったのだが、そもそも笑うこと自体が不謹慎だと言われ、暴力を受けた。
  • 「笑い」というものは、コンプレックスと関係していると思う。笑ってはいけないことが共有されている場では、「怒り」が表出されやすいと思う。
  • 日本の「笑い」や文化が、世界の感覚と大きくズレているのではないかと感じる。「ブラック」という言葉は、現代の日本社会において否定的な言葉として用いられることがあるが、そのような用法がそもそも適当なのかと感じる。
  • TVでは、たとえば「撲滅したほうがよい」というような番組があるという人もいるかもしれないが、単にそのような番組がなければよい、見なければよい、ということでは問題があるように思う。
  • 笑いには、「いじめ」につながる要素と「批判」「風刺」につながる要素があるように思う。
  • いじめは相手を見下すものだと思うが、「批判」は権力者に向けられたものではないか。

序盤から発言は途切れることなく、活発に提出されるた。そして話題は徐々に、「笑い」から「規範」へと移ってく。

  • 「笑い」と「規範」が衝突することがあるが、「規範」は集団的に機能するもので、権力として作用する。
  • マイノリティであっても、「規範」に訴えることで力をもつことがある。
  • 笑うことが「不謹慎だ」と言われる場面では、不謹慎と感じた人の怒りを受け止めることを要求されている。
  • 「不謹慎」だという批判の本質は、マジョリティの価値観を共有していないことに対するものではないのか。

また、「笑い」にもクスリ/ニヤリ/高笑い、など様々なものがあることにも話が及んだ。

  • 「マイノリティ」というものは、時に「マジョリティ」との「違い」を強調されて理解される。また、それがコンプレックスを生み出すことにもつながることもある。
  • 「マジョリティ」と違っていること、変わっていることを自ら「ネタ」にしたとき、「笑い」になるのではないか。
  • 社会的規範を背負っている側の笑いもあるが、自分ひとりの価値観だけによる「笑い」もあると思う。
    ex.子供が葬式で笑う
  • 「笑い」は、社会規範によらざるを得ない性質があるのではないか。
  • お笑い漫画やアニメには、大真面目に行動する主人公の失敗を「笑い」として描きつつ、そこから「教訓」を伝えるような話しが、ある種の典型として存在してるが、その失敗は主人公の立場にたってみれば深刻なもので「いたたまれない」と感じる。
  • 一方で、そうした失敗が「規範」として説かれる場合は「笑ってはいけない」ものとして、規範に組み込まれなければ「笑われる」対象として扱われるのは、理不尽なことだと思う。
  • 殺人やレイプですら「笑い」として機能している現実を考えると、「笑い」というのは大変に暴力的だと思う。
  • 「笑う人」と「笑わせる人」は同じ社会規範を共有しているといえるのか?

これまで提出された「笑い」についての性質を確認した後、キーワードとして、下記のような言葉が提出された。

  • 軽蔑
  • 上下
  • 優劣←ボケ、ツッコミ
  • 悲惨
  • 風刺
  • 道化

この後、話しは問いを考える段階になって難航した。

「笑い」は、それが発せられる場所であるともいえる「社会的関係」とどのように関係するのかをめぐって、いくつかの方向性が示されたものの、それらを問いの形式として充分に展開することが難しかったのかもしれない。

結果としては、「社会的関係を読み込まない笑いはない」という前提から、笑いには以下の二種類があるのではないかという見解が提出された。

  • 自分と違う存在を対象とする「笑い」/自分を含む集団を笑の対象にする「笑い」
  • 笑う側/笑われる側の、どちらの立場に自分を置くかによって 笑える/笑えない ということが決まる


しかし、では「社会的関係」とは何なのか。

様々にその周辺を探り回った対話であったと思うが、残念ながら今回は、この問題を正確に捉え切ることができなかったとも感じる。

しかし、参加者はそれぞれ大変活発に考えを述べ合い、懸命に「笑い」に大きく影響を及ぼしている「社会的関係」の在りようを言葉にしようと試みていたと思う。

第18回波止場てつがくカフェは、以下の暫定的な問いを確認して終了となった。


問 「笑い」に社会的関係は読み込まれるか?

答 「上下」「優劣」といった関係が強く読み込まれる。


(了)

***


第18回 笑ってはいけない、のはどうして?

  • 日時:1月27日(土)14時~
  • 場所:大崎駅近くの巨大施設
  • 参加費:無料(カンパ歓迎)
***


※「本レポートは対話の場の主催者として掲載するものですが、報告者の個人的見解を前提としています。種々の制約によりラフな記録と記憶をたよりに作成されているため、現になされた対話の事実と食い違うところがあるかもしれません。何卒ご承知おき頂きたく、お願い申し上げます。