【報告】第16回 誤解?失言?「発言を撤回する」とは、どういうことか?
9月30日(土)。
暑すぎず寒すぎず、空が綺麗に晴れ上がったこの日。
緑鮮やかに芝の映える、武蔵境駅すぐの屋外スポットは、″ゲリラ対話″にもってこいのロケーションとなった。
話は政治家の失言という話題、あるいは、自分自身が失言をしてしまったという体験などに触れつつ、発言するということの「前提」に及んでいった。
- 発言力がある人とない人がいる。そもそも「平等に発言」するとはどういう状態のことなのか。そのような場をつくることはできるのか。
- 「機会の平等」というだけでも自明ではない。全く個人の選択ということができない原因によって発言の機会を得ることができないことがある。
- 仮に失言だと感じることがあっても、相手への敬意があれば、社会常識の範囲であると考え、その人の言っている趣旨を理解することはできる。
- 単に「失言」だけでなく、ふるまいが「誤解」につながるのではないか。
そのような話の中、「そんなつもりはなかった」という言葉には、象徴的なセリフとして関心が集まった。
- 失言を指摘されて弁解する人は、 「そんなつもりはなかった」というセリフをいうことで相手を傷つけたことをなかったことにしたいのではないかと感じる。それは、相手を軽視していることの表れではないか。
- 確かに「失言」をしてしまうということは、「そのつもり」はなかったということなわけだから、「そんなつもりはなかった」と表明することにはそもそも意味はない。しかし、それでもその言葉を発してしまうのは、自分にその「つもりがない」ということを理解してほしいからではないか。
ex.「足を踏んだ人」「踏まれた人」 - 「悪気はない」と言ってしまうのは、「悪くない」ということの証明をしたいからではないのか?
- 「誤解」とは、それをする相手には、「失言」をする前に既に生じているものではないのか。
話題は「撤回のという行為の評価や良し悪し。また、発言の撤回や謝罪など、それを行う「相手」についての話題にも触れながら、
「納得できないことがある」と知ることが平等につながる
など、「誤解」や「失言」が発生する環境や原因、そして「公正」や「公平」という概念についても及んでいった。
振り返ると、全体として「誤解」や「平等」「納得」などといった概念について多く語られたものと感じるが、本日の対話の「核心」を絞り込むことは、充分にできないまま、終了の時刻を迎える結果となった。
残念ながら「問答」として結晶化させることはできなかったものの、下の写真にあるように、複数挙げられた「問い」の候補は、興味深い問題を提示していると感じる。
豊かな内容を実現できた対話ではなかったかと思う。
是非この続きは、各人にて思考を深めていってもらいたい。
第16回 誤解?失言?「発言を撤回する」とは、どういうことか?
- 日時:9月30日(土)14時~
- 場所:武蔵境駅至近の青空スポット
- 参加費:無料
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