【雑感】共謀罪強行――この横暴を“おぼえない”の構え

【雑感】共謀罪強行――この横暴を“おぼえない”の構え



“Don’t think. feel! It’s like a finger pointing away to the moon.Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.”

“考えるな、感じろ!それは月を指差すようなものだ。指に意識を奪われては、本質を掴むことはできないものと心得よ。”

 (ブルース・リー主演『燃えよドラゴン』 ※日本語意訳は筆者による)

 
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「対話の場」をあらゆる人に開かれたものとして実現したい。

そのような企てをするものにとって、個別具体的な政治課題を取り上げることには慎重にならざるを得ない。

「賛成/反対」「正/不正」といった地点へと人を向かわせる渦中において、「あらゆる人に開かれる」ことはおよそ無理。矛盾というより他にないからだ。


法案について「反対」の二文字を口にしながら、共謀罪をテーマに対話の場を用意したこの数ヶ月。(※)

当会の取り組みは、やはり愚かな試みであっただろうか?

何度も考えてはみるが、わからないと言うよりない。

だいたいすぐに結論が出るような類の話でもないわけであるが、とりあえずのところ現在、この試みが「失敗」であったという認識を持つには到っていない。

はっきりと言えるのは、共謀罪の創設が「対話の場」を実現していこうとする試みに根本的に対立しているということだけである。


ところで、可決されるに到ってしまった共謀罪であるが、人々の口からは、この第193通常国会を「絶対に忘れない」のだという言葉が多く聞かれた。

しかし、これは「対話の場」を開いていこうとする者の構えではない、と考える。


「忘れない」という言葉は、決意の表現である。

決意は、悔やまれるものとなった経験の特殊性を高め、その経験と自己との結びつきを強化する。

あるいは「忘れない」という決意によって、何かをおぼえ、様々な学びや豊かさを得ることもあるだろう。

人が「忘れやすい」という前提に立つならば、それは有効な手段であると言えるかもしれない。

しかし対話においてはどうだろうか?

「対話の場」を開いていこうとする者は、「忘れない」ということを基本とするわけにはいかないのではないだろうか?

少なくとも、この攻撃がなぜ「対話の場」に向られているのかという命題を前にした時。

必要なのはこのような「決意」ではなく、「意」を定めずに対話を続けることではないかと、改めて思うのだ。

誰となく導かれ、何時となく生起する対話に対して「開かれる」ということではないかと思うのだ。


対話の場を開いていこうとする者は、「おぼえる」ことから遠ざかる必要がある。

そのためには、その都度「忘れる」ということでは不十分だろう。

そもそも「忘れる」ことが出来るのだとしたら、私たちはもっと別様な世界を生きることができるに違いないが、それは詮なきことである。

私達にできることは、せいぜい「おぼえない」ということだけだ。

「おぼえない」という構えだけが、辛うじて決意の帯びる硬直性を想起させ、私たちを決意の前に踏みとどまらせる。

「対話の場」を開いていこうとする者は、「おぼえてはいけない。」

「おぼえない」という「決意」(!)のみが、対話の向こうの未知を用意する。


「てつがく」を名乗る手前、ブルース・リーのようにはいかない。

老荘や禅にも後れをとるのかもしれぬ。

しかし、これが「月」の在り処を知る方法であると、私は考える。


以上のようなところが、共謀罪創設という事態に際しての当会の取り組みを通じて考えたところであるのだが、この一件は、私にとっては次のような問答として集約される。

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問 現実的政治課題に対して、対話を志向する者は自己を遠ざけるべきか?

答 遠ざけるべきでもないし、近づくべきでもない。
「現実的政治課題」であるとないとを問わず、およそ対話は普遍と未知に開かれているべきである。
したがって、論題についての遠近は問題とならないし、むしろ対象との距離は、その都度それ固有の尺度として体験されるべきである。


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最後に改めて。

対話の場を開いていこうとする者にとって、共謀罪の廃止は可及的速やかに実現されるべき課題であることを申し添えて本稿を閉じる。

2017年7月10日
波戸場てつがくカフェ
しばたはる


※ 共謀罪設置に際しての波戸場てつがくカフェによる取り組みは下記を参照
テロ等準備罪/共謀罪 設置法案(組織犯罪処罰法等改正案)に反対する声明
第13回波戸場てつがくカフェ「 <共謀>するって、どんなこと?」
6.4「話をするって、どういうこと?~「テロ等準備罪/共謀罪」をきっかけに対話する~」(対話する実行委員会)